@article{oai:wako.repo.nii.ac.jp:00004868, author = {高島, 真理子}, journal = {表現学部紀要, The bulletin of the Faculty of Representational Studies}, month = {Mar}, note = {application/pdf, トウェインの日本への関心は、日本で記者活動を続ける友人・エドワード・H・ハウスとの文通が1870 年代後半途絶えたことにより進展することはなかった。トウェインがヨーロッパから帰国後の1879 年にもハウスからの手紙はなかった。しかしハウスはこの間トウェインに代わって、ハートフォードの牧師トウィッチェルとの通信を続けている。ハウスは、1879 年夏に世界一周旅行で日本を訪問したグラント将軍の案内役も務め、その記事も書いている。トウェインの日本への関心が新たな展開を示すのは、1880 年夏に日本から若い日本人の養女を伴って帰米したハウスとの再会からである。そのことは、1880 年のクリスマスに描いたハートフォードの隣人・スーザン・ワーナへの絵(手紙)に読み取ることができる。原画「エジプト逃避途上の休息」のパロディー画であるこの絵は、A Tramp Abroad の口絵"TITIAN’S MOSES" の取り組みを通して得た彼の絵画技術の応用としての表現と捉えることも可能である。口絵のテーマである旧約聖書の「モーセと葦」は、トウェインが作家になる以前からの関心事でもあり、1866 年のニューヨークの雑誌にこの逸話をめぐる8 歳の姪のアニーとのやりとりを発表している。その10 年後の1876 年夏に執筆が開始された『ハックルベリー・フィンの冒険』の第1章では、聖書を読み聞かせるダグラス未亡人の言葉を、ハックはアニーの方言の葦("the bulrushers")と聞き取る。さらに第11 章の冒頭に付けられた女装のハックの挿絵は、A TrampAbroad(1880)の口絵の「モーセ」を想起させる。1880 年前後のトウェインの日本への関心は、クリスマスに描いたスーザンへの絵手紙に関連したことの中にその多くを読み取ることができるのである。}, pages = {67--83}, title = {1880年前後におけるマーク・トウェインの日本}, volume = {21}, year = {2021} }