@article{oai:wako.repo.nii.ac.jp:00004712, author = {田村, 景子}, journal = {表現学部紀要, The bulletin of the Faculty of Representational Studies}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 水上勉の小説「不知火海沿岸」(一九五九年一二月)は、忘れさられた作品である。発表後、水上勉名の単行本や文庫本には収められず、二度の全集にも入ってはいない。 それゆえか、水上勉をめぐる従来の評論、研究で「不知火海沿岸」にふれられることはほとんどなく、単独で論じられたことはない。 しかし、にもかかわらず水上勉は長年にわたり、「不知火海沿岸」について発言を繰り返している。みずからの戦後史を「金閣と水俣」という二つの言葉で語った水上勉にとって、実際の水俣体験を最初に作品化した「不知火海沿岸」は特別であったのかもしれない。 短篇推理小説「不知火海沿岸」は、発表から四カ月で、書下ろし長篇推理小説『海の牙』へと発展的に吸収されたというのが通説である。 が、水上勉も一方でそれを肯いつつ、他方でそれに抵抗してもいるのである。 本稿は、「不知火海沿岸」と『海の牙』とが、同じ社会的出来事をめぐる別種の試みであると考え、架空都市「水潟市」の意義、神話的世界の華やぎの只中に出現した「革命」、棄民と奇病の社会的地理、三つのストーリーライン、暴動からさらなる暴動へ、以上五つの視点から、「不知火海沿岸」の作品分析を試みる。小説「不知火海沿岸」こそが、『海の牙』さらにはN県水俣病をあつかう戯曲「海鳴」(「テアトロ」一九六七年九月)へと続く水上勉の「水俣」にとって、避けてはとおれない端緒なのである。}, pages = {130--142}, title = {『不知火海沿岸』における棄民と奇病の社会的地理 : 初期水上勉論 第二回}, volume = {19}, year = {2019}, yomi = {TAMURA, Keiko} }